ZEPPET STORE / CLUTCH


「やろうと思ってできないことはない。」そう強く信じていた頃があった。
「できないことを年齢のせいにするのは、一歩を踏み出す勇気を持てない言い訳だ。」
それが自分の、夢に対する信念であり挑戦状だった。
その信念の元で実際できていたこともあるし、間違っていたとも思わないし、もちろん今でもそれは真実だと信じてる。
でも、心に願う何もかもを実現しようとすることが難しくなってきてるのは否定できない。
年齢ではなく、生きる勢いと体温のせい。

人には、その時代に生きる勢いと体温というものがある。
ずっと同じ勢い、同じ熱さで走り続けられはしない。
そう、山並を走る自転車が上り下りを繰り返すように。
こぎ方によってタイヤの摩擦熱が変化するように。
周囲の環境、自分の気持ちの移り変わり。
色々な要因によって常にその勢いと体温は変わり続けている。

強く強く思い描いていた夢や理想がどんどん遠のいていくのを見届けてしまう時が来る。
自分に勢いがなくそこで自転車は立ち止まる。
砕かれた悔しさ・虚しさは、求めなくても訪れる日常に埋没していき、そのうちそれが心の中で平たくなる。
改めて追い求めるパワーが欲しいという力の出し方さえ、いつの日か忘れてしまう。
そんな時ちょっとだけ、背中の肩甲骨と肩甲骨との真ん中をはじいてくれるひとさし指があったら。

「溶けてゆく はかない情熱をもう一度胸に君は Fly High」
「さめてゆく 日常の中で 今目覚めだす君は Fly High」
「消えてゆく 悲しみの影を踏みつけ進む君は Fly High」
(「FLY HIGH」)

一度埋没してしまったものを、時を経てもう一度掘り起こせることを知らなかった。
どんなことがあったにせよ、今また動き出してごらんと歌う人がいる。
自分で埋めて固く踏みしめたわけじゃない。
まだ、埋まってる場所も暖かさも覚えてる。
できるんだよ、やってごらんと手招きしてる。

夢に向かってただひたすら突き進んでいる、周りを見渡す暇もなくハイスピードで突っ走ってる、
そんなパワー満杯な人達に強い追い風を吹きつける歌はたくさんある。
そうじゃない人だけにわかる、歌。
どうしても消えてくれない、わずかでも胸の底辺に宿り続ける悲しみ。
踏みつけて進んでごらんと、広く温かい風を送ってくれる歌がある。
強がる必要もなく、卑屈になることもない。
身の丈ぴったりで、いいんだ。
やってみようと思う。

涙を精一杯こらえている時に優しい言葉をかけられると、堰をきったように涙が出るのは何故だろう。
その言葉が「泣いてもいいよ」のサインだから。
自分の気持ちをわかってくれたと思ってしまうから。
伝えようと思うから、わかってもらいたいと思うから一生懸命説明して、でもうまく伝わらなくてわかってもらえなくて、
いつしかわかってもらおうともしなくなってる。
本当はわかってほしいのに。

「そしていつの日か おとずれる日が来るさ 心の中を上手く伝えられる時が」
(「LOOP」)

木村世冶。
この人は一体どんなことを乗り越えて生きてきたんだろう。
どんなにつらいことがあったと言うのだろう。
知らず知らずのうちに社会にのまれ日常に紛れ、情熱を燃やすことを後回しにしてしまった日々や
踏みつけて越えて行かなければならない程の悲しみの過去か。
そんな自分の肩甲骨と肩甲骨の真ん中を、自分で押してきたのだろうか。
今でも途方もない悩みの中にいるのだろうか。

「どうしようもないほど 悩みながら僕らは行く 
終わりのない道を
少しぐらい迷ってもいい 前を向いて歩こう
夢のつづきを つないでみよう」
(「もっと もっと」)

途切れた夢でもつなげられる。
悩みながら、迷いながらでも歩いていける。

初めてZEPPET STOREをテレビで見かけた時は、ボーカルの声と、UKっぽいスマートな曲調が印象的だった。
木村世冶の柔らかく壮大で伸びやかな声が、果てしのない曲に乗ってどこまでも運ばれる風景が自分のツボだと気づいたのは最近である。
「空に届くか、みたいなところを目指してましたから。少しキザですけど。」
Rising Sunでの演奏後、そう言った木村世冶の言葉がすべてだ。

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